太宰治の「人間失格」を読んで感じたこと

スポンサーリンク

こんにちは。katsu(@winlabo)です。

Kindleで無料になっていたため、先日、太宰治の人間失格を読みました。

本書は想定していたとおり、最後まで陰鬱とした雰囲気で物語(手記の紹介というかたち)が進行していきます。こういったジャンルはこれまで苦手だったのですが、30歳を過ぎてから人間の陰に焦点を当てた作品に関心を抱くようななりました。

私が気になったポイントを振り返ってみます。

まず、本書の主人公(大庭葉蔵)は正真正銘のダメ人間です。物語が進むにつれて、酒、モルヒネに溺れていく葉蔵の姿は見るに耐えないところがあります。しかし人間だれしも葉蔵のような弱さや臆病さを持ち合わせているのではないか、と思ってしまう箇所も随所に見受けられます。

例えば、次のような一節。

ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍(ヒキガエル)は廻って通る

正直ギクッとさせられました。アニメの主人公みたいに目の前の課題に真っ向から果敢に挑戦できる人って実はそんなにいないのではないでしょうか。少なくとも私にはできません(汗)できることなら「廻って遠」りたいと思っています。

醜くて、痒くて、隠したくて、恥ずかしくて、なんとも言えない人間の心情を見事に言い表している作品だと思います。

そして手記は次のように締めくくられます。

自分には幸福も不幸もありません。
ただ、一切は過ぎて行きます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た
所謂『人間』の世界に於いて、
たった一つ、真理らしく思はれたのは、
それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。

うーん、一言ではとても言い表せない、なんとも言えない読後感です。でもこういった世界観に浸っている時間は全然嫌いではありません。ドストエフスキーとかにハマる人もきっと同じ心境なんだろうなぁ、とこの歳になって感じました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です