文章が書けるようになると精神が安定する

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最近、文章を書けるようになると精神が安定すると感じるようになりました。ご存知の通り、インターネットの台頭で情報発信の機会が爆発的に増えたことにより、国語力、文章力の重要性がますます高まっています。私はもっぱらの理系人間で国語は大の苦手。そもそも理系に進んだのも「国語が苦手だから」という消極的な理由でした。小さい頃から、本より漫画、頭を働かせるより体を動かすことの方が断然好きだったので「文章」とは物理的にも精神的にも遠い存在で、社会人になるまでずっと避けて生きてきました。

社会人になるとやたらと文章を書く機会がでてきます。議事録、報告書、提案書、メール、契約書、論文、寄稿文と仕事の内容に関わらず、「文章」を避けて通ることはできません。文章力に危機感を持っている人は少なくないのではないでしょうか。

御多分に洩れず私もそんな危機感を持っている一人。「良い文章が書けるようになりたい!」という思いから様々な本を手に取り、努力してきました。

最近は、仕事の文章作成を任されるようになりある程度マシになってきました。そんな私が今になって気がついたことが2つあります。1つ目は「語彙量が増えないと文章は書けない」ということ。

文章を書く目的は、伝えたいことがあるからに他なりません。「伝えたいこと」とは「自分の思い」と同義です。語彙量が少ない人は、「自分の思い」に近い言葉を脳内から絞り出して文章を書きます。しかしこれは、たまたま思いついた言葉の繋ぎ合わせにすぎないので「自分の書いた文章」と「自分の思い」との乖離(ギャップ)に耐えることができません。これは、自分の思いが強い人ほどなおさらです。

反対に語彙量が多い人は、脳内の記憶領域に蓄積された豊富な言葉の選択肢の中から自分の思いに合致した言葉を慎重に選びとり、文章を構成します。そのとき「自分の思い」と「文章」の間に多少のギャップがあったとしても、このギャップを埋める絶妙な言葉を選ぶことができるため自分の思いをそのまま言葉にのせることができるのです。これが「筆が進む」「言葉がスラスラでてくる」という感覚です。

語彙量を増やすには大量の本を読むしか方法はありません。語彙はただ丸暗記すればいいものではなく文脈の中で理解する必要があります。

コンテクスト(文脈)の中で知識を醸成したい

2017.06.21

こうした語彙の蓄積によって、自分の中の曖昧模糊とした感情なんかも言葉で吐き出せるようになると、精神的に安定していきます。私も昔は居酒屋で愚痴ることで精神安定をはかってきたのですが(結局、逆効果ですが、、、)、最近は文章で吐き出す方が心地良いと感じるようになりました。

文章力についてもう1つ気づいたことは、「文章を書く習慣が語彙量を増やす」ということです。

文章を書こうとすると「こういうときなんて言うんだろう?」「これって本当に正しい使い方なのかな?」といった疑問や問いが頭の中を駆け巡ります。頭の中に「問い」を持つと、その問いに答えようと脳が積極的に働きます。そのため本を読んでいて、鋭い表現、洒落た言い回し、レトリックなどに頻繁に目が止まるようになります。心理学でいう「カラーバス効果」というやつです(私の場合、橘玲さんの表現技法が大好きなのでちょくちょくメモを取らせてもらっております)。

こうした習慣が語彙量の吸収を加速させ、本を読んで語彙を増やす → 文章を書く → 問いを持つ→ 本を読んでさらに語彙を増やす→…
という好循環を生み出します。

インプットとアウトプットの好循環と言い換えることもできますね。

以上なんだかとりとめのない文章になってしまいましたが、私としては1) 語彙量を増やして2) アウトプットを続ける、という単純作業を継続して自分自信の精神安定に励んでいきたいと思います。

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